秋バラ尽くし1

横浜イングリッシュガーデンのバラたちです。

強風が小止みになったすきに撮ったので調整もままならず、全体的に
色味がちゃんと撮れていないです。色飛びも多くなってしまいました。

 

「ZENdwarfblack 」河合伸志 作出

河合伸志(かわい・たかし)氏は、横浜イングリッシュガーデンのスーパーバイザー。
個性的ですてきなバラをたくさん作出されています。

 

「鵜匠」大島俊彦 作出 2000年

黒みを帯びた赤、和の名前が印象的なバラ。
昭和31年にバラの愛好者が集まって結成された「岐阜ばら会」の大島俊彦氏作出のバラ。
名前は大島氏の地元、岐阜長良川の鵜飼にちなんでいます。

 

「ナイト・タイム」 O.L.Weeks作出 アメリカ 1975年

2002年に90歳で亡くなったアメリカのバラの育種家 'Ollie' Weeks氏 作出のバラ。
Weeks氏は赤いバラが好きだったそう。「ミスター・リンカーン」も彼とC.Swimの作出です。

エレガントなバラを生み出し、数々の賞を受賞。バラビジネスで成功し、世界中のバラ愛好者に知られていましたが、ご本人はそうした注目には頓着しなかったよう。
テキサス生まれで、気取らず、率直。自らを田舎者と認め、作業服を着て自分の土地でトラクターを運転するのが一番の幸せ、といった人物だったそうです。

 

「ザ・プリンス」David Austin 作出 イギリス 1990年

名前のプリンスとは、エドワード黒太子(イングランド王太子 プリンス・オブ・ウェールズ)にちなみます。
エドワード黒太子(1330-1376)は優秀な軍人・戦術家。百年戦争の前半期にイギリス軍を率いて活躍。いつも黒い鎧を着けていたので、「黒太子」と言われたという説があります。浪費家で派手な暮らしを好んだそう。

 

「カーディナル」 Reimer Kordes 作出 ドイツ 1985年

写真は、晴れすぎてもダメだけど、あんまりどんよりした天気でも冴えないですね。
白も難しいが、赤系の派手な色もうまく撮れず・・・

「カーディナル」とは枢機卿のこと。
枢機卿が真紅の帽子と衣を着けることから、「カーディナル」が「赤」を意味するようになりました。

 

秋の「ときめきガーデン」

主に赤いバラを集めてある「ときめきガーデン」から3つのバラを。

「プリンセスかのや」鹿屋市作出 2006年

柑橘とバラ 面白い組み合わせですね。
近寄って撮れなかったのですが、「プリンセス・かのや」は、表が赤で裏が白のバイカラー。鹿児島県、かのやばら園のホームページによると鹿屋オリジナルのバラとあります。

かのやばら園とYEGは友好協定を結んでいるのだとか。その縁を結んだきっかけが河合伸志氏で、かのやばら園には氏による友好ガーデンがあるそう。
友好ガーデンにはそれぞれの市を象徴する「横浜緋桜」と「桜島こみかん」が植えられているということなので、この柑橘も「桜島こみかん」なのかもしれません。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ」Meilland 作出 フランス 1971年

イタリアの名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)に捧げられたバラ

 

ドリー・パートン」Joseph F Winchel 作出 アメリカ 1984

アメリカのシンガーソングライター、カントリー・ミュージックの第一人者、ドリー・パートン(1946-)に捧げられたバラ。
この赤は、ドリー・パートンの口紅の色(若い頃の)だそう。

海外のバラ協会の記事によると、Joseph F Winchel氏のバラとの関わりは偶然から始まったそうです。
結婚してミシガン州に新しい家を購入した時に、プロの造園家を雇いました。造園家は以前に手がけた仕事の計画案や写真を持参したのですが、その計画には、前庭、裏庭ともにバラが含まれていました。
Winchel氏は、バラのことはよく知らないので、他のものを植えたらどうかなと思ったのですが、造園家にバラを植えるように説得され、何種類かのバラを植えました。

その後、アブラムシの退治法を探している時にアメリカバラ協会を知り、参加。
3年後に地元のバラ協会に参加したところ、その年の秋に苗木の育て方の書かれたバラの実をもらいました。
その実を湿った水苔の入った空き瓶の中に入れ、冷蔵庫に入れたまま忘れていたのですが、ふと思い出して取り出してみたら、芽が3本出ていました。
その後、地下室の照明の下で苗木を育てられることを発見。5月に外へ移動できるようになるまでに2000本もの苗木を育てていたそうです。
この方法でドリー・パートンも生み出されたのだとか。

人生、何に導かれるかわからないものですね・・・

 

春の「ときめきガーデン」の様子 ↓

 

kusagasuki.hatenablog.com