練馬区は都内で一番暑いのだそうですが、大泉学園にある牧野富太郎の旧邸宅跡にある記念館に行きました。
駅から5分ほどですが、日傘をさしていてもジリジリ。
道路沿いを歩いていくと、記念館の木々が遠くからも見えました。
涼しげ。園内は周りよりちょっと気温が低そうな雰囲気。
博士の銅像
牧野博士は文久2年(1862)高知の佐川村に生まれました。
生涯に発見、命名した植物は1500 種類以上。標本は40万点。研究のために集めた書籍は4万5千冊ほど。
大正15年(1926)にこの地に移り住み、昭和32年(1957)に94歳で没するまで約30年を過ごしました。
両親が幼い頃に亡くなり、祖母に育てられました。幼い頃から興味のあることには探求熱心な子供でしたが、小学校は中退。その後、ほぼ独学で植物の知識を身につけ、博士になりました。
下草も色々。340種ほどの草木があるそうです。
松の木も3種類。
展示室などの建物は、木目のついたコンクリートの壁が使われたりしていて、しゃれた雰囲気。こちらは入園、展示とも無料です。
9月25日まで、「牧野富太郎と万葉集の植物」という展示をしています。
博士は昭和10~20年代、万葉集に詠まれた植物について、図と自説を著した文章からなる図譜を編纂しようとしていた(未刊行)そうで、それに関連した展示です。
博士自身の絵もありますが、牧野日本植物図鑑の図を描いた水島南平の絵などが展示され、万葉集に詠まれた植物が現在の植物の何に当たるのかを考察した過程がわかるようになっています。
例えば、この歌
「道の辺のいちしの花のいちしろく 人皆知りぬ我が恋妻は」柿本人麻呂
大意は「道端のイチシの花が目立つように、私の恋しい妻のことが皆に知られてしまった」
この「イチシ」にはクサイチゴ、エゴノキ、ギシギシなどの説があったのですが、博士は、ヒガンバナではないかと考えました。
「いちしろく」とは「いちじるしくはっきりと」という意味です。
緑の中で白い花が際立って見えることもあるけれど、博士は万葉集の原文の「いちしろく」の表記が「灼然」とあるのに着目して、燃えるようなヒガンバナではないかという説をとなえました。
歌われた花を何と考えるかによって、イメージがだいぶ違ってきます。
こちらには博士の書斎と書庫の一部が残っています。
ここに夥しい数の書物や標本、古新聞などが積まれていました。
この建物自体が傷んできたために、建物ごと周りを囲う鞘堂にすっぽり収まっています。
今年、令和4年は博士誕生160年にあたる節目の年です。
来年は牧野博士をモデルにした朝ドラが始まります。
生誕160年を記念して、博士が長野県戸隠山下の村の人家で発見した「ヒメアジサイ」が高知県立牧野植物園から里帰りしました。
かつてはこの練馬の博士宅にも植えられていたのですが、いつの間にか姿を消していました。それを今年の5月に植樹。
博士の没後に次女の鶴代さんが高知の植物園に一枝贈ったものが系統保存されていたのです。
青いアジサイですが、今は色変わりしていました。
さて、見終わって、時刻は3時半を過ぎたところ。
お隣駅の石神井公園で散歩をしようと思ったのですが、まだ暑い。どこかで一休みしたいな〜と思いましたが、大泉学園周辺は馴染みがなく、とりあえず電車に乗りました。
天気がいいし、前回雨でちょっと残念だった練馬区役所の展望レストランに行ってみることにしました。
富士山、見えるかな?
次回へ続く。