日本の”バラの父” 鈴木省三氏作出のバラなど
バラについては全然詳しくないのですが、個々のバラのビハンドストーリーを知るのが楽しくなってきました。
「花の中の花」とも言えるバラには、さまざまな人々の思い入れがあって、バラの名付け一つにしても何かロマンを感じるし、花の作出者の物語が伝えられていたりするのも、バラならではのことではないかと感じます。
撮ってきたバラをちょっぴり深掘りしてみました。
美しいグラデーションが目を引きます。
「丹頂」1986年 鈴木省三氏(京成バラ園芸)作出[港の見える丘公園]
お名前は丹頂鶴に由来。”日本のバラ”という雰囲気です。
鈴木省三氏(すずき・せいぞう 1913-2000)は日本の”バラの父” 、”ミスターローズ”と呼ばれたバラの育種家。京成バラ園芸所長。
父上の影響で植物好きになり、病弱であったことから園芸の道へと進まれたそうです。
2013年には生誕100年を記念して「ミスターローズ」という新品種のバラが京成バラ園芸から発表されました。(武内俊介氏/京成バラ園芸 作出の淡いピンクのバラ)
「緑光」1986年 鈴木省三氏作出[港の見える丘公園]
奥側の白いバラは、昨年四季の香ローズガーデンの秋バラを紹介した時にも触れた、ノックアウトシリーズの「ホワイト・ノックアウト」
手前の緑色がかったクリーム色のバラが「緑光」。
薄緑のつぼみから咲き始めは白く、やがてまた薄緑になっていくそう。
写真だと普通のクリーム色っぽく見えますが、実際は遠目からも緑がかって見え、クールな印象で、変わった色だなと目をひきます。
濃い色の花を隣にもってくるのでなく、白バラと取り合わせて、一体となってお互いが引き立つ。
ホワイト・ノックアウトのつぼみが濃いクリーム色なのもすてき。
こちらの白バラは、ぱっと見でも丈夫そうな感じがして目を引きました。
「ホワイト・メイディランド」 White Meidiland 1987年
Marie-Louise (”Louisette")Meilland 作出(フランス)[港の見える丘公園]
Marie-Louise さん(1920-1987 )はフランスのバラ育種家。1930年代、世界的に有名なバラ「ピース」を作出したフランシス・メイアンと結婚し、1958年に夫が亡くなった後、事業を引き継いで、バラの育種を続け、120種以上のバラを生み出し、数々の賞を受賞しています。
彼女は、新しい品種のバラに自分の名に因んだ名前をつけられることを固辞し続けましたが、後に家族によって「Manou Meilland」という名前のバラが捧げられました。Manouというのは、Marie-Louise さんが孫から呼ばれていた愛称で、濃いピンクの大輪のバラです。(一つのバラのことを調べると、また別のバラが繋がってきて、見たいバラが増えていくのも楽しい・・・)
ノックアウトと同じように、メイディランドと名のつくバラは他にもあって、耐病性、耐寒性に優れ、公園や道路沿いなど公共の場所に植栽するのに適したバラのようです。
深緑の光沢のある葉との対比が美しく、この白にハッとしました。
ひとくちに白バラといっても、色々な白がありますね。
ノックアウトもあちこちで見かけました。
四季の香ローズガーデンの「ピンクノックアウト」
ダブルノックアウト
ブラッシング・ノックアウト
病気(をノックアウト!という意味合いの名前)に強いバラとして開発されただけあって、皆元気そう。花付きがいいですね〜
ノックアウトの作出者についての話 ↓
こちらも日本生まれのバラ
「天の川 21st」2006年 河合伸志氏作出[港の見える丘公園]
石垣風の場所にたくさん植えられていました。この時はまだ咲き始めでした。
前述の鈴木省三氏による「天の川」というバラがあって、そちらは、鮮やかな黄色で、一重咲きの剣弁。とがった花びらの感じが星形のイメージに近いかな。
21stの方は優しい雰囲気。黄色の濃淡があって、たくさん咲いているところは、星が強く、弱く、チカチカまたたく天の川を思わせそうです。
こちらも鈴木省三氏作出(1985年)のバラ[港の見える丘公園]
花びらの裏側が黄色で、「春風」というより、もうちょっと温度が高そうな雰囲気。
見事ですね。
港の見える丘公園のバラたち、本当にイキイキと咲いていて、感激しました。お世話する方達の大変な労力が注がれているのでしょうね。
そういえば、帰り道に横浜スタジアムの付近を通ったのですが、あたりの花壇の咲き終わったチューリップの球根を掘り上げて、手でより分けていました!
かなり広くて、大量の球根です。
色がわからなくなってしまうだろうし、こういう所のは、ざーっと掘り上げてもったいないけれど、廃棄してしまうのかと思った。
しっかり花を咲かせ終えた球根なので、痩せていそうだけれど、どうやって再利用をするのかな?