昨日、石神井公園の入り口にある草ボーボーの花壇に気を取られながら、池の上へと張り出した木道を歩き出したら、すぐ右手のアシの茂みにカワセミがいて、私の気配に気付いて飛び立ちました。
あっと思った次の瞬間には、ボート乗り場方面の草の茂みへと消えて行きました。
肉眼では飛び立った鳥の姿がスローモーションのように一瞬だけ、はっきり見えました。
またしても至近距離での撮影チャンスを逃してしまった。
カワセミというと、小学生の頃に親しんだ絵本「かわせみのマルタン」を思い出します。
リダ・フォシェが書いたお話に、フェードル・ロジャンコフスキーが絵を描いています。
この二人のコンビで作られたシリーズ絵本が数冊あって、家には「りすのパナシ」「くまのブウル」「かわせみのマルタン」の3冊がありました。
特に好きだったのは「りすのパナシ」。お話がというより、絵が大好きでした。
どうしたらこんなふうなタッチで絵が描けるのだろうとずっと不思議に思っていました。(石版刷りの技術が生かされているようです)
大事な絵本だったのに、整理魔の母が誰かにあげてしまい、当時の本が手元にあるのは、「くまのブール」だけ。
大人になってから、童話館出版から出たものを買い直しました。
もとのは福音館書店刊で、判型も違い、翻訳も少し違うようです。
かなりの文章量があって、内容も子供がすんなり理解できるものではありません。
「りすのパナシ」は動物が主人公の物語というスタイルで書かれているのですが、「かわせみのマルタン」は、いきなり「わたし」が語り始めます。
モミの木の間から湧き出た泉が川となり森の中を流れ、人里離れた谷にかかる白い橋の下を流れていく。
「わたし」は様々な生命が息づく美しいこの場所を自分の王国と感じていた。
ところが、ある日そこに一羽の鳥「マルタン」がやってきてここは自分の領土だと宣言する。
「空よりも青く、絹よりも艶やかなこの小鳥が、どこからやってきたのか、いまでも、わたしにはわかりません。・・・」
「わたし」はマルタンに魅了され、マルタンの姿を追う。森の四季の移り変わりの中で、命が生まれ、その命が別の命を支え、川の岸の動物や植物は絶え間なく変わっていく。やがてマルタンも・・・
今、紹介するのに改めて読んでみたのですが、え!と驚いてしまったのが、カワセミの巣について。
カワセミは、土手に巣穴をつくるんですね。絵本では1メートル以上もあるトンネルとあります。穴を掘って、そこで卵を産み、子育てをする。
「かわせみの子は、黒いとげがはえているような、みにくいようすをしていて、土の下で、虫のようにはいながら、日をおくります。
けれども、まもなく、暗い巣からでて、日の光をあび、川の水の流れる音をきくようになるでしょう。そのころになると、黒いとげは、まばゆいような青い羽にかわります。そして、魚をとったり、とんだりできるようになると、親のもとをはなれていくのです。
それから、水と空のあいだの、自由な生活がはじまりますが、その水も空も、かわせみほどには、青くありません。」(「かわせみのマルタン」抜粋)
すっかり忘れていました。これでは子育ての様子などは外から見られないわけですね。
このお話はカワセミの夫婦愛が描かれていて、ちょっと悲しいのです。子供にもそれはわかりました。
挿絵を描いた画家のロジャンコフスキー(1892~1970)は高校の校長だった父の転任先、ラトヴィアのミタヴァで生まれました。
5歳で父と死別。長じてモスクワ美術アカデミーで学ぶ。第一次世界大戦勃発とともに帝政陸軍に召集され、負傷して後方に送られる途中で革命が起こり、新生ウクライナ共和国にとどまって、子供の本の挿絵を描き始めます。
しかし内戦によって、反革命側の軍に動員されてポーランドで捕虜となる。その後同国で舞台美術などの仕事をするが、戦後の混乱を逃れてパリへ。
広告代理店でした仕事がアメリカの編集者の目にとまり、石版技術を生かした絵本を制作。
ついでポール&リダ・フォシェ夫妻との出会いからペール・カストール(「こどものとも」のモデルになった絵本シリーズ)の「野生動物のロマン」シリーズの絵をまかされました。
しかし第二次世界大戦が勃発。ロジャンコフスキーは南仏からスペインに抜け、セビリアで避難民を積んだ貨物船に乗ってアメリカへと渡りました。渡米後も絵本を作り続け、コルデコット賞を受賞しています。
戦争に翻弄された人生ですね・・・
つがいのカワセミを見たことはありませんが、石神井公園のどこかに、カワセミの巣穴があるのでしょうね。
紅葉の中でまたカワセミに会えるといいな。