庭園美術館で「キューガーデン 英国王室が愛した花々」展(〜11/28)を見ました。
旧朝香宮邸のアールデコ様式の建物、内装にボタニカルアートがマッチして、なかなかよかったです。
写真撮影はできませんが、新館の方に撮影コーナーが設けられていました。
新館の展示には最近小石川植物園温室で、知ったばかりの青い花、チョウマメ(蝶豆)の絵もあって、ちょっと感激。
顔見知りになったばかりの植物に色々な場面で再会して、おなじみになっていくのが楽しいです。
展示された絵にもあったキミガヨラン(君が代蘭)がちょうど庭園で咲いていました。
展覧会を見てから、テイクアウトで外のテーブルでランチをした後に自然教育園に行ってみました。
園内は、夏の花は終わってしまい、実ができているものが多かった。
咲いていた花の中で、珍しいものではキチジョウソウが見られました。
解説によると
クサスギカズラ科の常緑多年草で、反日陰の林内で育成する。
「吉祥草」と書き、「めったに花が咲かず、咲けば植えた家に吉事がある」とのいわれが由来、とありました。
もう一つこちらで見られる珍しい植物、トラノオスズカケ(虎尾鈴懸)は、花が終わってしまったところでした。
花色はうす赤紫。
立て看板の解説によると
四国や九州を中心に分布し、もともと関東地方には自生していない。希少な植物で、絶滅危惧種に指定されている。
こちらのトラノオスズカケは、江戸時代に松平讃岐守の故郷から平賀源内が持ち込んだと言い伝えられており、1949年に絶えたと考えられていたが、2007年に58年ぶりに再発見された。
とありました。
自然教育園は、江戸時代は讃岐高松藩の下屋敷があった場所です。
明治時代に軍の火薬庫になり、その後宮内省の所管となったため植生が守られたのでしょう。昭和24年に文部省の所管となり、天然記念物及び史跡に指定され、自然教育園として一般に公開されるようになりました。
室町時代あたりからこの地には豪族の館があったそうです。江戸時代に水戸黄門として有名な徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷になりました。
その後、5代目藩主の松平頼恭は、博物学に凝った殿様で、魚や鳥、植物の細密画を絵師に描かせて図譜を作りました。その図譜の編集を平賀源内が行ったと言われています。
殿様は江戸滞在中は下屋敷で自ら草木の手入れをし、領内でも植物採取を行ったりして、大名庭園(現・栗林公園)に薬草園をつくらせました。この薬草園で、平賀源内が植物採取の頭取を務めたそうです。
藩政にも熱心で、製塩・製糖など殖産興業に取り組み、高松藩中興の藩主と言われています。ユニークな殿様ですね。
平賀源内は、江戸時代のダ・ヴィンチとでもいう人で、本草学者、戯作者、蘭学者、画家、発明家・・・と様々な肩書きがある人。
私が学生の頃は、摩擦起電機のエレキテルを修復・復元した人物として教科書に載っていました。
また、テレビで平賀源内を主人公にしたドラマ「天下御免」をやっていて、当時平均視聴率が約30%という人気番組。面白くてハマっていました。
放映の翌日は教室でも「見た?」とああだ、こうだと話し合ったものです。
平賀源内を山口崇さん、杉田玄白を「上を向いて歩こう」の歌手、坂本九さんが演じていました。
また見てみたいな。
園内の花
イヌショウマ(犬升麻)
サネカズラ(真葛)の実
クサギ(臭木)の実
センニンソウ(仙人草)の実
名前の由来、仙人のヒゲが出てきました
水生植物園は草紅葉が始まってきたところ
ノイバラ
明日あたりから、いよいよ冷え込んでくるらしいですね。
紅葉の季節が楽しみではあるけれど、冬は嫌だな・・・
草が少ない冬は苦手です。