しばらく前に、ホヤを知ったきっかけとなった大庭みな子著『王女の涙』を読了しました。
ずっと気にかかりながら、読まずにいた小説です。
「文芸作品」と言われるような小説はここ数年、ほとんど読んでいません。
昔、ある人が小説のことを「他人の白昼夢に付き合っている暇はない」と言ったことが強く印象に残っています。
最近は私もそんなふうに思うことが多くなりました。
もちろん小説の楽しみは、味わってきました。
主人公と一緒にその人生を歩み、はるか遠くまで旅をしたような気分になる、そんな作品にも何冊か出会いました。
でも、現実社会でリアルと向き合う日々、つまらない些細なことでも解決しなければいけない様々な問題に埋もれていると、文芸作品を読むのがだんだんかったるく感じるようになってきてしまいました。
そんな自分のことを脳が退化してる・・・と思うこともあるのだけれど。
この作品も普通だったら、途中で投げ出してしまうところですが、王女の涙(ホヤの一種)のイメージの行き着く先を確かめたくて、何とか読み進めることができました。
『王女の涙』の著者のあとがきには、
「目立たない、どうということもない蔓草なのに、夜の香りのきつい「王女の涙」という花を、二十何年も昔から育てている。花の名前とその香りから引き出されるものを辿って出来上がったのがこの作品である。」とあります。
主人公の桂子はこの花を特に好きなわけなもなく、「花というものの持つへんなわびしさと胡散臭さ」があると思っている。
蔓の先を貰って、土に埋めておいたらいつの間にか伸びて花が咲いた。花の名前は周囲の外国人たちが、Tear of Princessと言っていたのであって、桂子は和名を知らない。
でも、作中には花についてこんな説明があります。
「〈王女の涙〉は、木犀の葉に似た葉の間に数センチの花手鞠のような淡紅色の花をつける。ひとつひとつの花は、ほんの直径一センチばかりの小さなもので、人工的な感じのするプラスティックめいた厚ぼったい星形の花びらの中心に赤いルビーをちりばめたような花芯がある。
その紅い花芯のまわりに、月が高く昇る頃、涙の露の玉がきらりと光る。その露は花芯から噴き出る蜜なのか、夜闇に漂ってくる芳香は、人を振り向かせるほどきつい。」
「どうということもない蔓草」には思えないのですが、ホヤの一種、多分サクラランのことでしょう。
桂子は、商社勤めの夫と海外を転々として暮らしていたが、夫が病没し、納骨のため一時帰国する。その際に友人と住宅街を歩いていて、夫が気にかけていた花「王女の涙」の香りに気づく。
その香りが漂ってきた家には、60代あたりだろうが老人のように見える父とその娘と混血の美少年が住んでいる。
鬱蒼と樹木の茂る敷地内には、別棟があり、桂子はその一部屋を借りることにした。
普通は外国人専用で、短期間の部屋貸しをしているという。
その時も桂子の他には、中国人とアメリカ人が部屋を借りていた。
実はその庭で、二人の人が亡くなっていた。
一人は、木の枝に首を吊って自殺、もう一人は井戸に落ちた事故死らしい。
そんなわけで、事情のわからない外国人に貸しているということのようだ・・・
話は全体的にはリアリティがなくて、エキセントリックなところがある登場人物たちの行動には不可解なものがあるけれど、会話などに時折、妙な真実味があって、ハッとしました。
作家は自身の実体験と想像、虚実をない交ぜて作品を作るのでしょうね・・・
育てている花の姿と香りからインスピレーションを得て、こんな話をつむぎ出してしまうのだから・・・他人に自分の白日夢を見させるなんて、作家というのは厄介な人々だな。
カバー裏のコピーには、「官能的で挑発的な匂いが誘惑する愛の悲劇」とあります。
作中人物の誰にも共感できない小説で、読み辛かったけれど、ようやく長年の課題を一つ片付けられた気がするので、とりあえず満足しました。