以前、椿の名前には風雅なものが多いと書きましたが、「眉間尺」という名は少し風変わりだなと思っていました。
調べてみると、「眉間尺=眉間の広いこと」と出てきました。
小石川植物園で最初に見た眉間尺の木
花は単色でした
印象としては、とにかく花のサイズが大きい。平均的なサイズの椿と比べるとこんな
そう言ってはちょっと失礼だけれど、やや「間のび」した印象。だから「眉間が広い人」のイメージからくる命名なのかな、と思ったのですが、この「眉間尺」というのはそもそもは、中国の怪奇譚に出てくる伝説上の人物のあだ名です。
この人物の眉間が異様に広かったことから「眉間尺」というあだ名がつき、それが転じて、「眉間の広い人」という意味になりました。
元の話は、いくつかバージョンがあって、日本でも太平記や今昔物語などで紹介されています。それぞれ相違がありますが、ざっくりまとめると・・・(要注意、おどろおどろしい話です)
古代中国で、王に剣を作るように命じられた、夫婦の刀鍛冶が、二本の剣を作ったが、三年もかかってしまった。夫の方が、剣を王に届ける際、身重の妻に、こんなに時間がかかったことを王は許さず、自分を処刑するかもしれない。王には一本の剣のみ献上し、もう一本の剣は、ある場所に隠しておく。生まれてくる子が男児なら、成人した時にその場所を教えるように、と言い残して旅立つ。結局、夫は帰ってこなかった。
生まれた子は男児で「赤」と名付けられた。赤は成長すると、非常に大柄になり、顔も眉間の長さが一尺もあったことから「眉間尺」と呼ばれるようになった。
成人し、父の不在の理由を母から告げられた眉間尺は、隠し場所から剣を取り出し、父の仇を討とうと、王宮に行こうとするが、王は夢知らせで、眉間の広い異相の大男が自分を殺そうとしていると知り、国中にそのような人相風態の男がいたら捕らえるようにとお触れを出し、懸賞金をつけた。それで眉間尺は復讐を果たせず、山中で嘆き、途方に暮れていたところに旅人が通りかかる。
この旅人が、眉間尺に事情をきいて、復讐を手伝おうと申し出る。それには眉間尺の首が必要だといい、眉間尺に持っている剣で自分の首を切り落とすように、と言う。眉間尺は言われるままに自ら首を切り落とすが、その身体は立ったままだった。旅人が必ず復讐を果たす、と言うとその身体がようやく倒れた。
旅人は王に眉間尺の首を届け、たたりがあるかもしれないから、その首を大釜で煮て溶かすとよいだろう、と勧めた。王は首を大釜に入れて煮るよう命じる。しかし、その首はいっこうに溶けず、湯の中から恐ろしい形相で睨んでいる。王が見返せば、その威光で溶けるであろうと言われ、王は大釜の中をのぞいてみた。旅人は、その機を逃さず、王の首を剣で切り落とした。首は湯の中に落ちた。次いで、旅人は自ら自分の首をはね、その首も湯の中に落ち、三つの首は大釜の中でドロドロに溶けて混じり、誰が誰の首とも分からなくなってしまった。後に、まとめて墓に埋葬された・・・
というお話。
一方、椿の眉間尺は、最初に見たのは単色でしたが、画像検索をすると、赤地に白の斑入りの花が本来の姿でした。
椿園を再訪したところ、単色の花をつけていた木とは別の眉間尺の木がありました。
その花がこちら。
椿「眉間尺」
江戸期からの古典品種だそうです。やはりこの伝説上の人物の名に由来する命名でしょうね。とすると風雅な名前というより・・・
江戸時代にこの花を眉間尺と命名したのは、どんな人だったのかな?