フィレンツェ 余談

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フィレンツェ初日に友人とアルノ川沿いの歩道を歩いていた時、路肩に止まった車から女性が降り立ち、こちらに向かって歩いてきた。

一目見て、「あっ、おしゃれな人!」と思った。

でも、今、そのマダムの着ていた服や持ち物のディテールを思い出そうとしても、サングラスをかけていたことしか思い出せない。

 

もしかすると、本当のおしゃれというのは、そういうものなのかな? 衣服や持ち物が突出した印象を残してしまうというのは、「おしゃれな人」というより「おしゃれが好きな人」なのかもしれない。

 

そのマダムが私たちのそばを通った時に、友人に向かって軽く、"Hello." と声をかけてきた。

友人はちょっと驚いたようだったが、"Hello." と返して通り過ぎた。

「知り合いじゃないよね?」ときく私に、友人はうなずきながら、「イタリアに来てから今まで、一度もあんなふうに声をかけられたことはない」と訝しがっている。

 

私の友人・知人の中でセンスの良い人と言ったら、まず最初に頭に浮かぶのがこの友人だ。着るものだけでなく、好む本や食、アート、インテリア・・・生活全般にわたって独自の美意識があって、いわば「スタイルのある人」。

 

その日も取り立てて変わったところのない、シンプルなシャツとパンツを身につけていたが、その素材感やシルエットが彼女にぴったりあっていて、通り過ぎた人が、自分が何に惹かれたのか理由もわからないまま、ふと目を止めてしまう、そんな雰囲気があった。

 

だから、あのマダムが彼女に声をかけたのは、あなたもなかなかやるわね、という、"おしゃれ同志" への挨拶だったのじゃないかなと私は思っている。

 

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この友人が、イタリアでは、おしゃれな人をあまり見かけない、と言っていたが、私も何度かイタリアを訪れ、魅力的だなと思う人には出会ったが、おしゃれだなと感心した人の記憶がない。

イタリア人の「おしゃれ」のキーワードには、「さりげなさ」とか「ナチュラル」は入っていなさそうだ。あったとしても重要度は低いだろう。

だから、何が「おしゃれ」と感じるか、という好みの問題とも言える。

 

「盛る」より「引く」の文化からきた者にとっては、たいてい過剰に思えてしまうから。

ただ、「こなれ感」というのなら、とびきり上級編を見たことがある。

 

ミラノのスピガ通り。

ショップに来た客やファッション業界で働く人々だろう。奇抜な格好をしているわけではなく、カジュアルな装いなのだが、目が吸い寄せられた。

 

おそらくものすごく高級な素材で、カッティングや縫製なども並の服とは違うのだろう。どの人も体にぴったりあったサイズの服を着ている。靴やマフラー、時計などの小物も一目で、質の高さが見て取れる。

 

特別な日の装いではない。服のことなど気にかけてもいないふうなのに、それぞれの取り合わせをよくよく注意してみれば、その取り合わせが必然的なものだとわかり、彼らが自分のファッションに自信を持っているのが伺えるのだ。一朝一夕にできるスタイルではない。

 

カジュアルなのに、あれほどインパクトのある装いをしている人たちを見たことがなかった。

その後にもう一度そんな人たちを見たいと思って、再び通りに行ってみたのだけれど、全然パッとしない。なぜか?

日曜日だったのだ。あたりにいるのは自分も含めて観光客ばかり。

 

スピガ通りを訪れるなら、平日をお薦めする。

もっとも、平日だろうが休日だろうが、動きやすさと楽さ優先の旅姿、おしゃれの痩せ我慢をとうに捨てた私には、とてもあの通りに並ぶ店の中に入っていく勇気はないのだけれど・・・