地面に摺れるほど長い花房をつける藤のトンネルを駅貼りのポスターか何かで見て、いつか足利フラワーパークに行ってみたいと思っていた。しかし、花の時期は大変な混雑だと聞いて二の足を踏んでいる。最近は、「鬼滅の刃」に出てくる藤襲山に似ているというので、鬼滅ファンの聖地にもなっているそうだから、コロナが終息したら、花の季節はますます混雑しそうだ。
藤というと日本の花というイメージだが、海外でも何度か見かけたことがある。一作年、フィレンツェに住む友人を訪ねてイタリアへ出かけた。ちょうど、バルディーニ庭園の藤の見頃だというので、それもお目当の一つになった。
一人旅は心細いので、度々イタリアへ行っている同僚が、ゴールデンウィークにイタリア旅行の計画をしていたのに、便乗させてもらった。
同僚はフィレンツェには何度も行っているので、もう一ヶ所どこか未訪の場所を組み合わせよう、ということになり、オーストリア国境に近いボルツァーノへ行くことにした。
羽田から出発、飛行機を乗り換えてベローナへ夜入り、翌朝、イタリアの新幹線ともいうべき、イタロに乗ってボルツァーノへ。乗り換えもなく、快適な列車旅。
宿は、荷物をゴロゴロ引っ張って行っても苦にならないほど駅に近いパークホテルラウリン。ここは落ち着いた、いいホテルだった。
泊まった部屋から中庭がのぞめ、一際明るい黄緑色の葉をつけた木が目を惹いた。
また踊り場の窓から見える、滝のように枝垂れて咲くクリーム色のモッコウバラが見事だった。紫のは桐の花。
ホテル内のレストランで昼食を終えた後、タルヴェーラ川沿いの緑道を歩いて、川上にあるロンコロ城まで行ってみようと散歩に出た。
ボルツァーノは1918年までオーストリア領で、ドイツ語を喋る住人もかなりいる。人声で溢れ返るイタリアの他の街とだいぶ印象が違い、静かで落ち着いた雰囲気。空気も澄んでいる。
緑道の左手の広い河川敷は緑地公園になっており、遠くには緑の山が連なる。空は青く、まさに風薫る5月といった趣で、半袖の人もいた。
右手には民家の間に葡萄畑が広がり、小さな城もあった。
道沿いには実に様々な木が植えられていて、藤も咲いていたが、やや盛りは過ぎている様子。
ホテルでみた明るい黄緑色の葉の木もあった。何という木だろう?
次々と写真に撮りたくなる風景が左右にひろがり、目を奪われながら40分程歩いただろうか、もうひと頑張りで城か、というあたりで同僚が腰痛を訴えだした。
旅用にと用意したしゃれた銀と黒のコンビの靴が歩きやすそうな見た目と違って、靴底が薄く、腰にきてしまったのだ。
バスはあるのだが、川の対岸側を走っているらしく、どこに停留所があるのかもわからない。
どうしたものかと思って地図を広げたら、前に地図でここは何だろうと思っていたカメラマークのついたスポットが近くにあるのを発見。Funiviaとある。
ロープウェイの駅(Funivia San Genesio)だった。これに乗れば、高いところからあたりを眺めながら休めるというので、早速往復切符を買う。出発までしばらく待合室で休む間に、同僚の腰痛も少しましになってきたようだ。
高度が上がるにつれて、小山の周りを全て葡萄畑にした頂上に凝った作りの家々が建っているのが見えてくる。行くはずだったロンコロ城も見えた。
牛が放牧されている。この辺りは南チロルとも呼ばれており、風景も他のイタリアの街とはだいぶ違う。
さて、ロープウェイのついた先は高地なので、下より春の訪れが遅い様子。同僚の腰痛もあるので、あまり歩き回らず、駅周辺からの眺めを写真に撮ったりしてロープウェイの下りの時間まで過ごした。
Seilbahn Jenesien駅
この時、遠くにテーブル型の目を惹く山が見えたので、写真に撮ったのだが、旅の後でたまたま菓子輸入業者のKITANOのホームページを見ていたら、好物の一つ、ウエハスのローカーの本社が、ボルツァーノにあると知った。
そしてウエハスのパッケージにも印刷されているのが、写真に収めたドロミーティ山群に属するシリアール山だった。
気づかず、残念だったが、ボルツァーノの街中にはローカーのカフェもあるらしい。
以来、イタリアの思い出も加わって、ローカーのウエハスはより愛すべきお菓子になった。
帰り道は緑道と反対側の川沿いを歩いて街へ戻った。
道すがらに見かけた植物を2つ。
アルカネット(アンチューサ)Anchusa offisinalis, Alkanet
ムラサキ科 ウシノシタグサ属
花は食用になり、根は染料になるとか。
コンフリー(ヒレハリソウ 鰭玻璃草、領巾張草) Symphytum officinale, Comfrey
昔は健康食品だったが、今は毒草扱いになった。
古い植物図鑑の同じページに載っていた